新聞の訃報欄を活用している地域は?
『葬儀の口コミ』(https://soogi.jp)を運営する株式会社ディライトが、葬儀に行ったことがある、または参列したことがある20~70代の男女を対象に「地域ごとの葬儀の風習の違い」に関する調査を行い、10月8日に結果を公表しました。
その中で、「葬儀(訃報)を知る経路」の調査結果がありましたので、ご紹介します。
「知人の葬儀があることを知る経路として、経験したことがあるものを全て選んでください(複数回答可)」の質問に対しての回答は以下のとおりです。
★東北地方・北陸地方・首都圏・関西地方・九州地方
【東北地方】
『親族からの連絡(84.5%)』
『友人からの連絡(57.5%)』
『新聞の訃報掲載欄(34.5%)』
【北陸地方】
『親族からの連絡(84.0%)』
『友人からの連絡(58.0%)』
『新聞の訃報掲載欄(34.0%)』
【首都圏】
『親族からの連絡(81.2%)』
『友人からの連絡(60.9%)』
『郵送による通知(7.9%)』
【関西地方】
『親族からの連絡(84.6%)』
『友人からの連絡(60.2%)』
『郵送による通知(4.0%)』
【九州地方】
『親族からの連絡(87.1%)』
『友人からの連絡(66.2%)』
『新聞の訃報掲載欄(16.4%)』
東北地方・北陸地方・九州地方では新聞の訃報掲載欄の利用率が比較的高くなっており、新聞が地域社会の重要な情報源として機能しているようです。
参考:ディライト【地域別の葬儀文化】都市部と地方では葬儀形式や費用に差異が出る結果に
新聞の訃報広告はいつから?
新聞の訃報欄には、「記事」と「広告」の2つあります。
社会面の下の方に黒い枠で囲まれているのが通称「黒枠」と言われる訃報広告。
国立歴史民俗博物館副館長である山田慎也氏の調査によると、最初に新聞に死亡広告が出されたのは1873(明治6)年の「日新真事誌」で、外務少輔・上野景範の父が死去した際に、上野氏の友人が広告主となって出したものだそう。
以降、明治20年代まで、次第に一般の死亡広告は増加していきます。
特に特徴的なものは、1885(明治18)年に出された三菱財閥の創立者である岩﨑弥太郎氏の訃報広告で、出棺埋葬など葬儀過程を知らせる広告が2月9日から13日まで連続して出され、盛大な葬儀が行われました。
さらに、葬儀が終わった16日には、郵船汽船三菱会社から、以下のような広告が出されました。
⦅当社岩﨑弥太郎死去仕候ニ付副社長岩崎弥之助儀右社長之任相続仕候間此御報知申上候以上⦆
この広告は20日まで毎日出されたそうです。
訃報広告は社長継続の通知の場だった
当時の訃報広告は、訃報を知らせるという意味だけではなく、事業を継承していくので問題はない、とう意図を発信する目的でも使われました。
岩﨑弥太郎氏の死に際して、何度も弟である弥之助氏が社長に就任したことを何度も出している点も、江戸時代から続く三井家や住友家と異なり、当時の「ベンチャー」であるがゆえに、会社がどうなるか懸念されていたことがうかがえます。
情報発信の場が現在のようにネットワーク化されていなかったでしょうから、業務の引き受け先を明示することは、社運をかけた発信だったのでしょう。「ご安心ください」と述べている訃報広告もあったように、「代表者の死によって業務が途絶え、組織が継続できない」状態には陥らない、というメッセージを訃報広告に込める必要があったのでしょう。
出典元:
日本特有の企業による葬儀「社葬」が行われ始めた訳
著:国立歴史民俗博物館副館長 山田慎也「月刊住職」(2023年6月号)
学研ココファンのお葬式「ここりえ」
終活・葬儀・お墓アドバイザー、社会福祉士
地域によっては、訃報を新聞に掲載するところもありますが、都市部ではほとんどみかけなくなりました。