遺影写真のイメージは?
遺影というと、どのようなものをイメージしますか?
「葬儀の祭壇の中央に飾られる写真」
「田舎の家には、鴨居(障子やふすまの引き戸上に取り付けられた上枠)に飾ってあった」
「昔は黒枠に白黒写真だった」
「仏壇には必ず飾られている」・・・・・・
あと
「真面目な顔をしている」
のも特徴です。
昔はシャッタースピードが今のように「一瞬」ではありませんでしたから、
同じ表情をキープする必要があったのでしょう。
どこか無表情に見えてしまうのはそのためかもしれません。
昔はとっておきの一枚を遺影として残していましたが、デジカメやスマホの普及で、自然体の写真を「遺影」として残しておく人も多くなりました。
ところが、デジカメやスマホなどで撮影した写真は、膨大なデータの中に埋もれてしまい、今は「探すことが困難」という声も耳にします。
とっておきの一枚を共有できる場所に保存しておく「終活」も必要になっています。
遺影撮影会は大盛況
愛媛県で行われた終活イベントで、遺影撮影会が行われていたというニュースがありました。
(10月14日、テレビ愛媛「EBCニュース」より)
人生を振り返り生前に自分の葬儀や亡くなったあとのことを準備する「終活」
松山市で行われたイベント「終活フェスタinえひめ」は今回が7回目で、会場には骨壺などが展示されているほか、実際に棺桶の中に入ってみる入棺体験や葬儀で使われる肖像写真の撮影会などが行われました。
参加した人:
「遺影が今まで無かったので、このいい機会に写してもらおうかなと思って来ました。なんかちょっと一安心したような気がします。写真が無くていざ亡くなった時にバタバタするっていうのはよく聞きますので」ったのかもしれません。
そもそも、葬儀に遺影が使われ始めたのはいつからでしょうか。
日清日露戦争下では、戦士した息子の肖像写真を天皇の肖像画とともに飾る習慣が、一部の間ですでにあったようです。大正後期から昭和初期にかけて、葬儀の祭壇に遺影が飾られることが普及してきますが、当時は故人として写真を撮ることがステータスシンボルで、名士に限られています。権勢を誇示するシンボルが肖像写真であったのかもしれません。
着せ替え合成全盛期
1960年代以降、結婚式や社員旅行などで集合写真を撮る機会が増えていきます。その集合写真か本人だけを抽出し、遺影写真として加工する合成写真が登場します。
フィルム時代の着せ替えの合成は、隣の人物や背景をエアブラシで丁寧に消していくという手作業で、手間がかかるものでした。
紋付袴に着替えたのは、「家」制度の名残でしょう。従前の名士の写真をお手本にして、庶民なりに形式を取り繕っていたのがこの頃の遺影スタイルです。
次第に紋付から洋装に変化し、90年代半ば以降、モノクロからカラーへ変化するようになります。
えがお撮影会10月25日開催!
学研ココファンのお葬式「ここりえ」でも、来る10月25日に「えがお撮影会」(場所:ココファン横浜鶴見)を実施します。
前置きが「遺影」の話でしたが、「遺影に使わなければけない」わけではありませんので、お気軽にご参加ください。
素敵な「笑顔」を振り巻いてとっておきの一枚を撮影してみませんか。
当日は「模擬納棺式」イベントも同時開催。
現在予約受付中です。
【開催場所】ココファン横浜鶴見 大会議室
【住所】神奈川県横浜市鶴見区鶴見中央3-19-11
<模擬納棺式>
【第1部】10:00~11:30
【第2部】14:30~16:00
<えがお撮影会>★各先着20名
【第1部】11:45~12:45
【第2部】13:15~15:15
お気軽にご参加ください!
学研ココファンのお葬式「ここりえ」
終活・葬儀・お墓アドバイザー、社会福祉士
吉川美津子
葬儀の様子を写真で記録した「葬儀写真集」の存在は、
明治期から確認されていると言われています。飾り方や仕様は変化していきますが、故人を偲ぶメモライゼーションという意味の役割は変わりません。